Tokyo Cuisine SAUTOIR HOME
プライムソトワール(味へのこだわり) 料理・洋菓子のレシピ スペシャルインタビュー ソトワールコンシェル 出版図書紹介 フランス料理:用語集 食の雑学事典
無国籍料理という新しい分野を切り開いてきた料理人、熊谷喜八氏。身体に安全で、美味しいものにこだわったジャンルにこだわらないことをコンセプトに、都内近郊、名古屋、大阪、福岡にレストラン、ケーキショップなどを約50店舗を展開する、今回のプライムソトワールでは、株式会社キハチアンドエス 代表取締役でもある熊谷氏に、経営者としての独自のマーケティング論と、1人の料理人としてのエスプリに触れるとともに、自身の集大成と語る≪KIHACHI「四季のレシピ」≫(6月16日発売)編纂に込める熊谷氏の思いについて、お話を伺ってみた。
料理人を志した起点
前野 熊谷さんが料理人を志された時代、銀座の東急ホテルに入社された当時のお話からお聞きしたいのすが。
熊谷 「翼よ!あれが巴里の灯だ」という映画を観たのが料理人なろうと思ったきっかけです。
「あのパリの街へ生きたい。旨い物が食いたい。」
「フランス料理のコックになればパリへ行ける!」
そんな気持ちでした。
私が銀座の東急ホテルに就職のは昭和37年でした。まだ下働きでしたけどね。でも地方への転勤が多かったことで、数々のセクションを担当でき、いい経験を積むことができたと思います。
前野 熊谷さんにとっての運命の一皿とはどんな料理でしょうか。
熊谷 私の場合はバニラアイスクリームとデミグラスソースですね。アイスクリームを初めて作ってそれを舐めてみた時の感動は今でも忘れられません。それとホテルでビーフシチューを煮込んだ後に残ったデミグラスをご飯にかけて食べた味。当時のデミグラスソースは2日も3日も煮込んで、何度も漉して仕上げてましたから本当に旨かったですよ。その時のデミグラスソースの味が今のキハチのソースの基本になっていると思います。
翼よ!あれが巴里の灯だ
翼よ!あれが巴里の灯だpic
[物語]
1927年、一人の青年がニューヨークのルーズベルト空港からパリのル・プールジェ空港まで、5,810kmの距離を単発飛行機を繰って大西洋を横断する単独飛行を行った。強靭な意志と肉体と魂をよりどころにチャールズ・リンドバーグは、33時間30分飛びつづけ、本格的な航空機時代の始まりのきっかけとなり、人類の未来を変えた物語である。
これからの料理はグローバルスタンドでなければ…
翼よ!あれが巴里の灯だ
翼よ!あれが巴里の灯だpic
前野 日本人の中に階層の格差と消費の2局化とが出来はじめていると感じていますが、外食マーケットにおいて、今後の日本人における「食」の志向はどう変化していくとお考えでしょうか。
熊谷 グローバルダイニングの長谷川さんは20代〜30代をターゲットにしていると思いますが、我々はむしろ40代から上の世代をターゲットにしています。
日本国民は驚くべき貯蓄を持っています。それを自由に使えて元気な年齢層は60代ですね。今は実際の年齢よりかなり若くなています。昔より15歳くらいは若返っている気がします。その元気で経済的に余裕がある層を特にターゲットにしていくつもりです。それと「食」の志向という視点で言えば、今、世界中で日本食ブームが広がっているでしょう。
しかし純粋な日本料理店は海外では少ないと思います。料理のカテゴリーを完全に分ける必要はないでしょう。「寿司はこうでなきゃイケナイ」なんてことはないし、現に「カリフォルニアロール」なんてけっこう旨いですよ。
ニューヨークにあるべトナム料理店やタイ料理店の中には素材の使い方や味付けの仕方に驚かされる店もあります。NOBUさんの店は寿司が出たりしますが、私の店の場合はパンとワインは外しませんから、私の料理スタイルは「洋風の無国籍料理」ということですが、日本人の食の志向も同じ流れだと思います。実感として世界は狭くなっています。インターネットとともに「食」も完全に国境を越えていると思います。したがって、これからの料理はグローバルスタンダードでなければならないということです。
前野 熊谷さんの原点はフランス料理だと思いますが、これからの日本のフランス料理はどのように変化していくのでしょうか。
熊谷 街のフランス料理店はいい店が増えています。日本のフランス料理は当初、価格戦略を間違えた部分がありました。
今は出店状況が追い風となり、一流店にいた2番手3番手のコックが独立して、価格的にもリーズナブルで味もいい店がたくさんあります。
前野 その反面、都内のホテルでもフレンチのメインダイニングを閉めるというケースもありますが、現在の東京という外食市場についてどう思われていますか。
熊谷 それはしっかりとしたコンセプトが欠如していた事と、中身の問題だと思いますね。魅力のない店は淘汰されていくのは当然です。東京の中心、それも銀座界隈で商売にならなければ日本国中どこへ行っても商売にならいないと思います。
私がキハチを開いた時にはとにかく名物を作ろうと考えました。人が腹が減った時にまず頭に浮かぶ物を売り物にしないとお客様を集め続けるのはむずかしいのです。ホテルの場合、労働基準法がネックになっている部分もありますが、値段に見合うクォリティーと技術が伴えば日本のフランス料理はこれからも発展していくと思います。
それと、東京自体の食のレべルは極めて高くなっています。ラーメンなどのカテゴリーからフランス料理まで、世界中にこれだけレベルの高いレストランがたくさん揃っている都市は他にありません。それだけ消費者の嗜好も向上していると言えるでしょう。ただ食文化とういう点ではまだまだな部分はありますが、東京という食のマーケットは今後も大きな可能性を持っていると思います。
料理人と厨房環境の関係について
前野 料理人にとって快適な厨房環境は今後大切なファクターとなると考えられます。特に電化厨房等の新しい厨房環境にシフトしていく利便性と問題についてお聞きしたのですが。
熊谷 キハチ銀座店に電化を採用してます。当初は調理担当者に感覚的な戸惑いが有ったと記憶しています。フライパンを煽る料理には向かないというのがデメリットですね。それと鍋類がまだ電気厨房の進歩に追いついていません。しかし、厨房で働く調理人にとっての厨房環境の向上には素晴らしい効果を発揮します。空調のコストが下がり、スタッフの調理への集中力も向上します。熱いなかで調理をしていると味付けも自然に濃くなりますし、体力も消耗するのです。それと、オープンキッチンでスタイリッシュな厨房をお客様に見せる店が増えてくると、調理器具がデザイン的に美しい電気厨房には今後大きな可能性を感じますね。
翼よ!あれが巴里の灯だ
料理人としてのひとつの集大成!
翼よ!あれが巴里の灯だ
「KIHACHI」
四季のレシピ集全4巻

お問合せ先
ソトワール・プロモーション 販売部
〒104-0041
東京都中央区新富1-5-5-903
TEL 03-5542-6100
FAX 03-5542-6101
前野 今回発刊された「四季のレシピ」への熊谷さんの思い入れについてお聞きしたいと思います。
熊谷 私も来年還暦を迎えます。この本はキハチ料理の集大成というわけではありませんが、「キハチグルメサロン」で10年間、教えてきた料理レシピの集大成なのです。この本の特徴としては、各料理の原価計算が細かく掲載されてます。それと分量をグラム表示で載せているので、料理の再現性が非常に高いレシピとなっています。どちらかというとこの本は、私の部下達に残したいと考えて発刊いたしました。価格もリーズナブル(4巻セット1万500円)なので広く多くの方々に購入していただきたいと願っております。
前野 私も大変価値の高い料理書だと思いました。
本日はお忙しいなか本当にありがとうございました。
熊谷さんの今後のご活躍を、心よりお祈り申し上げます。
熊谷喜八氏 PROFILE
pic 1946年 東京生まれ。「翼よ!あれが巴里の灯だ」の映画を観て、フランス料理のコックを目指す。銀座東急ホテルを皮切りに、1969年より、セネガル、モロッコ日本大使館料理長を歴任後、1972年パリ「マキシム」、「パヴィヨンロワイヤル」で研鑚を積み、当時ジョエル・ロブション氏が率いていた「ホテル・コンコルド・ラファイエット」ではセクションシェフを務める。
1975年帰国後、高樹町「シルバースプーン」料理長を務め、1977年より葉山「ラ・マーレ・ド・チャヤ」の総料理長を務める。1986年6月、株式会社サザビーと共同出資による株式会社キハチアンドエスを設立。
翌年、南青山に「レストランKIHACHI南青山本店」を開店する。美味しくて体に安全なジャンルにとらわれないキハチ料理を提供するレストラン部門と洋菓子部門を含めた"食"の複合企業化を目指す。

1975年フランス アルパッジョン料理コンクールにおいてプロスペールモンターニエ杯 日本人として初の受賞

1982年フランスアカデミーキュリネール日本支部正会員になる

クラブデトラント会員 (社)東京都司厨士協会港支部幹事会員